友人と自分を比べすぎて会うのもつらい
高校時代の友人と定期的に集まる機会があるのですが、友人たちと比べて自分の生活レベルが低く、話についていけなかったり、みじめな気持ちになってしまいます。欠席すると卑屈な自分を余計みじめに感じてしまううえ、一度承諾してしまったことを断りづらいという責任感から、がんばって毎回出席していますが、会が近づくにつれてどんどんと暗い気持ちになります。人それぞれの人生があるということもわかっていますが、頭でわかっていても気持ちが割り切れません。
女性/30代
2021/12/21
旧友と集まる機会も、大人になってしまうとそれぞれが別の人生を歩んでいて、ついお互い比べてしまいますよね。自分の生活レベルの方が低いと思えば、本来楽しいはずの集まりも居心地の悪いものになるでしょう。
比較するなと言われても、比較してしまうのが人間の常です。ですから、まずは「比較してしまうのは仕方ない」と別の意味で割り切るところから始めてみたらいかがでしょうか。友人の生活レベルが高いと思ってしまうことを、その時に感じる気持ちと一緒に受け止めて、そこをスタート地点にします。
そこからは、方法はいろいろあります。「私も同じようになってやる」と、みじめな気持ちをバネにしてがんばるのもいいですし、あるいは、自分の心としっかり向き合ってみるのもいいと思います。
もし後者でいくなら、「自分にとって、幸せって何だろう?」と、ぼんやり考えてみることをお勧めします。もし、幸せを感じる上で、生活レベルが最も大切ということでしたら、前者の選択肢に戻って、他者の生活レベルを目標にがんばるしかないかもしれません。でも、幸せについて「いちばん大切なものは家族」とか「好きな仕事をすること」と思いつくようなら、きっと「他人の生活レベルより、自分の思いが幸せの基準なんだ!」と気づくことでしょう。そして、比較から解放されて、少し楽な気持ちになれるのではないでしょうか。
近年、ポジティブ心理学とか幸福学と呼ばれる、幸せについての学問が注目を集めています。その研究成果によると、例えば、年収がある一定レベルを超えると、そこから先はいくら増えても幸せ度が上がらないそうです。また、地位や見た目にこだわる人から見れば魅力のなさそうな仕事でも、実際にその仕事に従事している人たちは、誇りをもって自分の仕事に取り組んでいる場合が少なくないようです。そうした人たちには共通点があり、「自分の仕事は人様の役に立っている」とか、「この一つひとつの仕事が何か大きなものの一部になる」などと、大きな枠組みの中に自分の仕事を位置づけているようです。見方ひとつで、私たちの心は幸せにも不幸せにもなるのです。
他にも、「自分が不利になるような情報には触れない」とか「上ではなく下を見る」といった、比較のつらさから脱出する簡便な方法はあるにはあります。ただ結局は、今自分が幸せなのか、そもそも幸せって何なのか、という深いテーマに行き着くことと思います。まずは、あなたにとって幸せとは何かについて、今一度考えてみてはいかがでしょうか。
回答者
保健同人フロンティアメディカルチーム
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